紡ぎ人真矢

SOULMAIL:紡ぎの杜
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2004年09月17日(Fri)▲ページの先頭へ
やったよ♪”嬉しい報告

大切な皆さんへご報告

9月12日、サンフランシスコから日本へ帰ってきました。帰国も早々に、鈴虫の声がなつかしく、(エミちゃんは、コオロギだと言います・・・)朝の目覚めも快適な今日を迎えています。
ここ日本の京都・亀岡・天川(てんがわ)から皆さんにメッセージを送信します。
民主党参議院議員・松岡とおるさんの秘書に決定しました。8月に公募があり、こちらから応募しました。9月15日、お兄ちゃんの16回目の命日の日に東京で面接がありその後、伝えてもらいました。10月1日から、東京・参議院議員会館での勤務となります。
たくさんの力を皆さんから届けてもらい、今回の機会を得ることができたと思っています。いまだ夢のような現実に驚きを隠せない心地でいますが、明るく凛々とそして柔軟な姿勢でつとめてまいります。がんばります(^−^)/”
「不動の信念は人を動かす」友人からもらった言葉をしっかりと抱き、新たなチャレンジです。
先輩が届けてくれた、「自分の生きる力と、わたしたちの生きる力を信じて、ぜんぶ、ぶつけておいで」どんなに心強かったか。ルームメイトのきょんちゃんが最終選考決定時言い放ってくれた「あんたは、私らの夢や」を勇気と自信にかえて、「一人で、この場にいてると思ってない」という私自身の思いを信念に、けっして代弁させてはならない当事者の声に、どんな色をふくませ透明にされている地点から、様々な人たちに発信していくのか。怒りをこめて発する声色、その怒りからの発信からも解き放たれたいと願うとき、穏やかに自分をそして人を生きたいと祈るとき、人から大切にされる・自分を大切にすることを困難においやっているこの社会の構造に私は生きていることを強く実感しながら、多くの仲間たち、まだ出会っていない次世代の子どもたちをステキに迎えられる土壌を耕していきたいなっと思っています。
その大事な大事な一歩をふみだせる土壌が、9月15日、あらたに政治の場としてひらかれました。私たちはけっしてひとりぼっちじゃない。
私をこの場へ送り出してくださったすべての人に感謝するとともに、Soulmailを見守り育ててくださった多くの方に嬉しい報告を伝えられますこと、とても幸せに思います。
これからも、見守っていてください。
 ― 風雲は大地に深く根をはらす   2004年 9月17日   杜真矢

2004年09月07日(Tue)▲ページの先頭へ
Cafe オアシス

サンフランシスコの暑い日。昨晩も、ここスカイブルーハウスのダイニングは、インターネットCafeとして賑わっていた。毎日のようにやってくるセトくんは、少し退屈そう。来週には、大阪市立大学のHRDP(Human Rights and Diversity Project)グループの7人がこちらにやってくるとの連絡を受けて、いくつかの空間を提供しようと、話し合い。彼らは、人権と多様性に関してならなんでもありという、なんだかおもしろそうな学生のグループ。人権問題には興味があるが、部落や在日のことはさっぱりって感じの反差別主義的差別者がメンバーにいないことを願いたい。サンフランシスコ1週間弱の訪問で、それぞれの興味は違うものの、そのグループのリーダーをしているトモエちゃんの要望にはできるだけ協力したいと考えている。トモエちゃんには直接会ったことはない。Soulmailを発見して連絡をいれてきてくれた貴重な訪問者第一号である。メールを通して少しやりとりするだけで、かわいらしい後輩ができたような感覚だった。一歳しか変わらないから、後輩?って感じでもないけど、色んな風に色んなところで何かを表現しておくことって大切なんだなと改めて実感。同世代の、「考える人」たちとの出会いはとても貴重なものだと思う。
タカヒロさんには、カストロを中心としたコミュニティの案内人をお願いした。フローラでお茶をしながらの、語りの場もなんだか今から楽しみである。ルンルン♪“19日には、「地球の集まり」というNPOが開く「差別とその構造について考えてみませんか」というセミナーで、きょんひと私が話をすることになっている。ともえちゃんを含め、何人かの学生さんも参加してくれるらしいが、人に何かを伝えるということは難しい。とりわけ、自身の経験を提供するのであるから。そして、何より、参加者の多くがこちらに住む「日本人」女性を中心として構成されていることは、私にとっては大変重要なポイントで今だある。その複合的なポイントを点検・確認しながら、彼女たちとどんな出会いを共有することができるのかに意識をなびかせることにしよう。
長くて暑い夜は、こちらでたくさん出会った差別構造がもたらす事柄についての話に続く。アメリカの土地で、自由になれる可能性を多く見る「在日」のきょんひと、インド出身のタクシードライバーには、自分のルーツを恐怖感から言えない私、こちらの日本人コミュニティでも忘却され、会話の中、当たり前の行為に飛び出す「部落」差別や「在日」差別の現状がある。さてさて、それをどうするかの、どうしたいのか、そのためには何が必要かを、タカヒロさんがゆっくり説きほぐしてくれた。ふんわりふんわり、私たちの生涯にわたるこの向き合いの時が、自分をころすことのないようにと私たちは高ぶる気持ちの隣に優しいオアシスを感じていた。そのオアシスを信じたい・感じたい・穏やかに生きたい。
そのために、必要とされる自分の時間を努力を、時に他者にむけられるその力たちを、見返りを求めることなく存分に、私と私の大切な人たち、これから出会う大切な時と人々に注ぎたいと思った。 

2004年09月03日(Fri)▲ページの先頭へ
スカイブルーハウスへ

9月はじめの、もうひとつの新しいニュース。
♪真矢・引越しのお知らせ♪
語学学校に近いお部屋を探していたが、なかなか見つからない。その日も、賃りれるかどうかの連絡を待っていたところ、きょんちゃんからTELあり。きょんちゃんのルームメイトのティム、ティムのマイケル(オーナー)と他のルームメイトへの「マヤ、ここに来たらいいやん」という提案で、私が残りのアメリカ生活を過ごすお家が決まった。ミポリンが2週間ほどバケーションでメキシコへ、ゆうこちゃんは日本、アミットはニューヨーク、トムと二人のポトレロハウスでこの電話を受け取ったとき、嬉しかった。今まで、ミポリンや多くの人が助けてくれる環境にいた私だったが、きょんちゃんとは同級生。お互いに、そして自分に刺激と期待を与えながら、マイペースで色んなことにチャレンジしようと思う。「これまではゲストやったけど、今日からこの家のファミリーやで」と迎えてくれたきょんちゃんと、ティム、マイケル、タカヒロくん、短い間ですがよろしくお願いします。そして、この4ヶ月をめいっぱい楽しく、のびのびと過ごさせてくれたミポリンに感謝します。ありがとう。
新しいルームメイトたちとリビングでインターネットカフェ。みんなパソコンに向かっている。今日、聞いた事がある音楽がティムのパソコンから流れてきた。「ロミオの青い空」の主題歌「ブルースカイ」。この曲の制作にタカヒロさんが関わっていた!?スイスからイタリヤに「煙突掃除工」として売られたロミオ、「煙突掃除工」の生活の中で様々な差別を受ける。永遠の友情を誓いあった友人アルフレッドは両親殺害の冤罪で、階級システムから排除された人物である。社会構造の中にある差別に若者が出会い、彼らは“黒い兄弟”を組織し立ち上がっていく。「ロミオの青い空」が放映されていた1995年、私ははじめて狭山の全国集会に参加した。世界名作劇場から卒業していた私だったが、精ちゃんが興味を持っているのをみて一緒にみているうちに引き込まれていったのを覚えている。社会変革には、私みたいな若者が参加しなあかんのやと強く感動した。そんなきっかけとなった作品のスタッフがこんな身近に・・・。
新しいルームメイトのタカヒロくんは私といくつも重なる要素をもっている人である。はじめて会った時、アイデンティティの面でいままでに出会ったことのない共通点の多さに驚いた。今、ここにいることも何かに引き寄せられているとも感じる。何かを紡ぐということは、現在ここで見えているものだけでは見えてこないものもあるというのが、おもしろい。
私たちが創っていく未来をいっぱい語りながら、ポトレロハウスから場所を移したここ青空がまぶしく穏やかな縁深き人たちが集まるブルースカイハウス(勝手に命名)から、soulmail発信していきます。これからも見守っていてください。


NPO・ボランティア体験プログラム 新しい出会い

9月1日、いいお天気。先週からはじまったJPRN(日本太平洋資料ネットワーク)のボランティア体験プログラムに、ボランティア・コーディネーターとして参加している。日本から5人の大学生とサンフランシスコ在住の宝子さんを迎え、日中の午後と週末を世代の変わらない彼らと過ごしている。「木を植えること」を通じてコミュニティづくりをしているNPOや、食事・シェルター・職業訓練・生活保護相談などのサービスを提供しているサンフランシスコ・グライドメソジスト教会での配食サービスへの参加、NPO誕生の背景となった70年代のムーブメントの歴史を学びNPOが根付いたコミュニティを体感するという目的のバークレーウォーキングツアー、「アメリカNPOとボランティア活動」の背景を参加型で提供するNPOコンサルタント渡辺真理子さんのセミナーなど。一週間たっぷりと盛り込まれているプログラム、活動中いきいきと自分をひきだそうと輝かせる参加者、時差ぼけと早起き、直射日光を受けながらのハードな仕事の中にあるが、彼らがむかっているところには、日々「成長」する自分の姿があるように思う。私も同じくそうなのではないだろうかと期待するところだ。
やりたい事、やってみたい事、あふれる興味や、意欲、それらは若いからといって沸き立ってくるものではない。他者と出会い、他者と何かを共有したいと思う感情や思いが存在し、すでにコミュニティがある空間にNPOやボランティアを通して出会うことによって、自身の生きる・生きたい場所との距離が近づく、遠ざかる場合もあるだろう。でも、様々な空間に出会う事により、自分自身でひろげていける・すでにひろがっているものたちに気が付き出会うだろう。約2週間のプログラム、彼らと一緒にまた自分探しをしたいと思う。この機会を与えてくれた、すべてにありがとう。

2004年08月26日(Thu)▲ページの先頭へ
今日のポエム

はるか昔、共に生きし民あり、その民、今世にて再び出会い、その民としての誇りを持ちる、若き者、赤黄の地で出会い、青緑の地で魂を刻む、歴史は風となり種をはこび、そこに黄金の実みのるとき、その黄金の意味を強く知り、我生くみちひらけたり

    2004.8.26




2004年08月21日(Sat)▲ページの先頭へ
Women's Peace Day July 9 in San Francisco.

Women's Peace Day July 9 in San Francisco.
沖縄・韓国・フィリピン
アジア太平洋女性平和祭り“軍事の力は命を奪います。女の力は命を育みます。”
7月9日、サンフランシスコ・ウーメンズビィルディングセンターで開催。 
200人の参加者
・女の視点から語る軍事化の影響
・在米韓国女性による演奏や踊り 在米沖縄「ゲンユウカイ」によるエーサー 在米韓国・日系ユース フィリピン女性歌手によるパフォーマンス 
カルチャーパフォーマンス


沖縄出身のお母さんとアメリカ軍兵士のお父さんを持つアンナちゃん:スピーカー


Nikkeis for Peace and Justice メンバーのなおみちゃん


SPAMを使った料理の鉄人!!勝者:ウェスリー ゴーヤSPAMチャンプル
韓国・沖縄・フィリピンには、SPAMを使った一般的な料理がある。なぜ、一般的かというと?アメリカ軍時下の食べ物、軍事用に開発されたSPAM缶が市民生活に浸透していった。日常にひかれた軍事の力。SPAMチゲやポークチャンプル等、戦争とアメリカによる軍事力によって、今もその広範囲におよぶ被害に人々は苦しんでいる。

隣はデイビット・ミトマ

語学学校の友達も参加してくれました。 ありがとう!!


Korea Solidarity Committee[KSC]の キャロル Cute♪”


真矢が担当した遊びコーナー 貝の飾り物づくりが好評でした。


主催・オーガナイザーのみんな ジヘ・ジュディー・のぶこちゃん・ウェスリー・グレース・ニノチカ・キャロル・・・そしてミポリン♪” お疲れさま!!!!!
(真矢撮影) 


次の日 みんなでスパに行きました!最高!!!


(のぶこちゃん撮影)
乾杯!!



2004年08月17日(Tue)▲ページの先頭へ
TuleLakeへの参加 続き2

TuleLake3日目の朝に、「在日」と「部落」のワークショップを開催。40人もの人が数ある分科会の中から私たちの分科会に参加してくれた。水平社宣言をミポリンと一緒に呼んだ。前日に、彼女から水平社宣言を一緒に読む事を提案された。嬉しかった。この日本ではじめての人間・人権宣言の意思を受け継ぎ、その精神に捧げるとしてのワークショップが始まった。ミポリンの社会構造的な差別問題導入。天皇制・部落・在日。私による、部落解放運動と部落の歴史、社会的収容所の定義。ワークショップは、こちらの北米毎日新聞にも紹介された。緊張もしたが、祖母が持たせてくれた浴衣を着けることによって、「私」に存在する彼女たちの歴史とパワーが私に力を与えてくれた。
のぶこちゃんやきょんちゃんの協力により、ワークショップは成功。彼女たちに感謝すると共に、これから展開するであろう次のステップへの期待が膨らんだ。また、一緒にやれる。終了後の反響も大きく、特に「帰米」として日系コミュニティの中で差別されてきた経験をもつ人たちから暖かいメッセージを頂いた。その他、2世・3世の人たちが、四本の指をたて、「この事やろ。意味がわからなかったけど親やおじいさんが変な顔をして自分たちに教えたんや」と、幾人から聞いた。「あなたも「部落」かもしれない。部落じゃないとはいえない。」と思ったが、ここアメリカで「部落」の存在は忘却され、丑松たちは、ここアメリカの地で、丑松として生きることを選んできたというのが真実だった。
ワークショップの途中、「自分の祖先は武士で、部落差別なんかない」と立ち上がった参加者がいて、まわりの参加者から「ほっときなさい、続けてください」というサポートがあり、続けるというハプニングもあった。また、日本からの学生や若者からは、「エッタの者は夜になると蛇のように冷たくなる。」それを確かめるような質問という発言を受けた。そのたびに、身震いしながらもより冷静な対応と努力する自分自身に腹立たしさと、悩ましい慰めを感じた。
私も私の知人たちも、こちらで生きてきた「部落」の当事者に出会ったことがない。あの立ち上がったおじさんが、部落じゃないとはいえない。と、私は思った。
「日本」という領域で生きる以上、日本から自由ではないということ。アイデンティティを奪われてきた者たちが再び自分たちを、自分たちの文化を取戻すプロセスへの問い。「収容所」の再定義と、社会的「収容所」の定義と告発。
「日本」によって虐げ続けられてきた者たち、長老たちの残りわずかな声を記憶する必要が私にはあるだろう。
日系アメリカコミュニティで生きた「部落」の人々がいたことをアプローチのひとつに置き、これから研究を進めたいと考えている。

1981年生まれ組!!!

レナウとミポリン

バークレーバスのみなさんと

TuleLakeへの参加 続き1

7月2日〜5日まで、TuleLakeの巡礼の旅に参加。サンフランシスコから会場までは、バスでおよそ6時間。気持ちよく寝ていたので、さだかではないが思っていたよりも早く着いた。

(休憩場所にて のぶこちゃん撮影 とても気持ち良い天気だった)
一日目、全体でのレセプションでは収容所体験者の長老から、収容所の内部の説明や生活等の話を聞く。2日目は、収容所跡地を見学、夜の全体会では、収容所の中で結成された男性を中心にしたレジスタンスの証言を聞く。驚いたことに、TuleLakeの中で、レジスタンスの人からの証言を聞くのは、今回がはじめての試み。集団的記憶喪失のスイッチが解除されようとする瞬間に私たちは立ちあっていた。

(収容所跡地)

(収容所跡地にて)

彼らは、収容所の中で組織された義勇軍であり白地に赤い日の丸のはちまきをつけていた者、無地のはちまきをしていた時期などがあり、朝に昇る太陽にむかって拝む。そこに“天皇”が存在したのか否かは、アメリカで生まれ育った彼らにとってはどうでもいいことで、戦争によって奪われた自分たちのアイデンティティ「日本」を取戻そうと若者たちは、右傾とされる羽をひろげていったのでないだろうか。不当に自由を奪われ、アイデンティティを喪失されようとしている自分たちの正義と権利の主張のために、その体制に打ち勝つための手段として、国家主義と愛国心に犯された集団自決という知恵しかその時彼らにはなかったのでないだろうか。それだけ、このアメリカで社会参加から閉ざされたコミュニティでの生活を思わせた。一見、「日本」国家主義な羽をひろげたように解釈され、日系の社会の中でも嫌煙され忘却されようとしていた彼らが、9・11以降むけられるマイノリティに対するヘイトクライムによって日系社会に必要な「日系」としての団結の手段として引き出されたようにも思える。彼らに対する解釈はそのままで、受け入れられたのであるならば、それはまったくもって危険なことであり、彼らに対しても失礼なことであろう。マイノリティコミュニティの団結の手段として、過去の清算や分析なくして従来の画一的な団結の手段をそのまま現在に適応しようとするのは、誤ちを繰り返すことにも繋がる。文化・アイデンティティ、人が創りだした価値を自分たちの引き寄せようとする時全てにそれは言える。

証言者のひとり ビルさん


TuleLakeで私たちは、ショッキングな出来事に遭遇した。2日目の跡地見学後の追悼式典、用意された収容所モニュメントには半旗のアメリカ国旗が靡いており、そこへ登場したのは神道の儀式用の衣装をつけた男性と女性であった。男性の手には、お祓い用の神具(白いシャラシャラしたもの)をにぎられており、私たちは身を震わせた。ミポリンが、彼らに天皇制と神道について質問をした。「天皇は神の子であるから、みなさんと変わりなく平等なんですよ。でも尊敬はしています。」と彼の返答。戦争に神道がどのように使われたのか。在日や部落の人々は、神なる日本国の天皇を崇拝し、清い者を称え、穢れたものを排除するその構造によって、虐げられてきた。がその式典で、「穢れた者たちを祓います」と言って、「ピュアなる者」などと言う言葉を繰り返し、私たちの目の前でその白いシャラシャラとした神具を祓われた。大地への感謝、先祖への感謝を伝えよと「ありがとうございます」と永遠と繰り返し参加者も「ありがとうございます」を連発、あたりは一種異様な現象につつまれた。

(その時の式典)

(衝撃的なこの二つのシンボル)

(不審を抱かないで祈る人たち)
TuleLakeで亡くなった先祖たちの霊を祓うとはどういう事なのか。「この災難があったから今ここにわたしたちがいる」と彼らは言った。この災難が他の誰にも起こる事がないように私たちはその行動のためにここにいる。となぜ言えないのだろう。
また、今回のことは、ある場所で開かれるあらゆる式典の中で、例えおかしな行為であっても、ある重要な目的と意味を尊重するためにそのまわりで起こった事に対してその場で行動することは大変困難である。不当な事が平然と行使される場で、自分以外のまわりが、それを当たり前のように受容し行為している状況は大変危険である。日本の公立学校の卒業式や入学式でも一緒の事が言える。
私たちは、その夜、TuleLake実行委員会の若手のリーダーと式典についての話し合いを持った。自分たちの権利や被差別の位置性にはまったくもって鈍感な彼女たちがそこにはいた。今後、お互いの主催する機会に行きあい関係性を築いていこうという同意をもって別れたが、これまでにこちらが提供したイベントに彼女たちの姿は見えない。


TuleLakeへの参加

 先週、友達のきょんちゃんが日本からこちらへ着いた。2年間、こちらの大学院に通うためだ。1ヶ月ほど前にも部屋を探す目的のためにもサンフランシスコへ来ていた彼女、TuleLakeへ一緒に参加した。彼女は、国籍の問題でビザ取得に大変な労力を使っていた。学ぶための機会を自分の力で得た彼女だったが、日本やアメリカの社会システムによって、その機会を奪われるかもしれないという恐怖を抱きながら、これまでの1ヶ月を過ごしてきただろう。再会した彼女は、変わらぬ誠実さと、ユニークでやさしい気持ちを私たちに届けてくれた。
「英語しかないと思ったんや。この日本を出るには」と繰り返し過ぎた、思春期を語ってくれた。日常の生活の中で、見えない「収容所」に私たちは入れられている。社会的「収容所」として、私たち被差別マイノリティが置かれている状況を言語化できたのは、TuleLakeという、第二次世界大戦時代日系人たちが収容された強制収容所跡地への、巡礼の旅に参加すること、そしてそこで日本のマイノリティについてのワークショップを開くことが決まってからの事だった。「在日」と「部落」のワークショップを、日系アメリカコミュニティで開く事は、主催側にとっても参加者そして、日系アメリカのコミュニティにとってもはじめての経験だった。
 私たちのワークショップを成功させるために、様々な人がサポートしてくれた。TuleLakeの実行委員会では「在日」と「部落」のワークショップについての意見がわかれた。日系2世と、3世4世との意見の相違。「自分たちに、に、この問題がどう関係があるのか」という意見が3世4世からでたという。その会議がもたれた時に、2世の委員会メンバーの数人から「収容所・日系コミュニティの中でも部落差別があった」「部落差別に基づく結婚差別も現に存在したのだ」と私たちのワークショップの意義を訴えて盛り込まれる事が決定した。しかし、私たちにとっては過去のことではない。
 TuleLakeへの出発日が近づくにつれて、小説・破壊にも描かれる丑松は、どんな一生を送ったのだろうか、という問いが私の中をぐるぐると回転しはじめていた。


2004年07月27日(Tue)▲ページの先頭へ
ただいま。1

忙しい日々が続いている。いつもと同じようで違うさまざまな風景。たくさんの出会いと、大切な人たちがいるそんな幸せな時と場所が目の前にひろがっている。
Tule Lakeの余韻を残したまま、Women‘s Peace Dayの手伝い、サンフランシスコピークスでの、All People’s power summittから先日戻り、2週間のバケーションを家族や友人たちと過ごした。
壮大な自然に包まれながら迎えた、再会の時。なつかしい匂いと鼻をくすぐるたくさんの刺激でドキドキの毎日。成長と、甘えたい気持ちと、複雑な心持ちは、一つずつ少しずつ変容している。明日へ向かう気持ちは膨らみ、真実を探求することの居心地の良さが、一人ではない歩みから実感できる。
サンフランシスコピークスでのサミット、会場は夜になると星に包まれた。テントから眺める満天の星。天の川ひろがる空に、再会を願った。ナバホ、ホピ、黒人の若きコミュニティリーダー、ダリットの姉妹、ホピの子どもたちとの出会いに導かれた。
サンフランシスコピークスまでは、サンフランシスコからフェニックスまで約2時間の飛行、空港から車で3時間ほど走りフラッグスタッフに到着した。そこから30分ほどで会場に着いた。本格的なワークショップは着いた次の日から開催。
メディアを我々のものにするための多数のトレーニング、ヒップホップから自分たちの表現を引き出し、自分たちの「声」を届けるための手法と、その実践的プログラム。ヒップホップのワークショップでは、ダリットのテモリが、日本のシスターとして私たちのことを自分の紹介の中に盛り込んでくれた。彼女の歌に揺さぶられて、私たちは「母は闘わん」を熱唱。“ヒップホップ”という文化を持っていない私たちが、発することのできる人間解放の「声」を持っていることの大切さがぐさりと響いた。そして、二組の母娘でのサミット参加が何よりも、嬉しいことだった。

私たちは、あらゆる差別の撤廃のための運動をしてきました。ここに来て、私たちは自然や大地を大切にすることにどれだけの力を傾けてきただろうと、自然と人を大切にすることの大切さを強く感じました。母親や父親、先輩たちが育んでくれたこの大地をどんなふうに紡いでいくのかをしっかり考えていきたいです。今回のサミットには、日本の被差別部落から二組の母娘が参加することができました。「母は闘わん」という歌を歌います。差別・迫害のある社会に子どもたちを迎えた母親たちが、子どもたちをどう育てるのか、自分たちがどう生きるのかを強く歌った歌です。

こんな感じだったのか、あるいは違ったのかわからないが、緊張したのと、思いが涙になってあふれてきてしまって、でもこんなふうに、私たちと「母は闘わん」の事を伝えたと思う。歌もとっても良かった。その後、団結がんばろうの締めと拳。みんなで共有した「GANBAROU!!!」と拳は、向かうべきところその双方をよく知っていた。
生きる!拳を硬く結びながら。行く!未来を誘う者と共に。
伝えたい事は、たっぷりとある。ゆっくり届けさせてもらおう。おやすみなさい。

2004年07月11日(Sun)▲ページの先頭へ
ひとやすみ

 久しぶりの更新!交信?最近、忙しくピリピリしていた。ホッと一息。とりとめない昔話につきあってもらおう。
幼いとき、私は桃だった。スモモだった。♪スモモモ モモも モモの家♪お兄ちゃんの養護学校の主催で、モモのお家の舞台を観た。おじいちゃんのお家はこんなのだったのかなって思ってなんだか嬉しかった記憶がある。かぐや姫の時もあった。家の屋上から、月や星を家族で観るのが大好きだった。寝る前に読んでっもらっていた本ではものたりず、お話のテープを買ってもらっていた。歌入りで♪月の世界に帰ります。大変お世話になりました。優しいおじいさんさようなら♪という寂しい感じだったが、今思うと竹取の翁は、貧しい竹細工職人だっただろうから、ある意味私の感覚は間違っているとは言えないと思う。それから、とんがり帽子のメモル。今でも覚えているかわいい歌は、幼いときに出会ったことを今でも嬉しく思う。いつも持ち歩く布バッグにメモルの本を入れていた。パパはメモルの大きな友達リックマンが好きで、虫の子守歌をよく一緒に聞いた。♪東風が吹いたら西へ行こう 南風が吹いたら北へ行こう♪いったいどこに行くねん!っという感じだけど・・・、♪道に迷ったときは、虫に聞こう♪だったような。誰にも出会うことのない旅は、自然に包まれそれがどこからか出会いを運び、知らず知らずに一人ぼっちじゃないことに気づかされるような不思議な子守歌だったように思う。優しさと、勇気、涙と笑顔を子どもと親が共有できるステキな作品だった。どっしりと守るものがあったり、大切な人をしっかり大切にする旅人って、何かミスマッチだけど、そんな人が、若き父としてわが家に存在していた事が、なんだか笑ってしまう。それから、ママとの一番の共有作品は小公女セーラー、♪涙は憂い(愁いの)のためならず♪がとってもあう作品だったな。♪泣こうと思ったら声をあげていつでも泣けるけど♪怒れるけど、♪胸の奥にこの花あるかぎり♪誇りや思いがあるから、♪強く生きてみようと思う♪強く生きることに挑むことができる。ひまわりという挿入歌もあった。ひまわりのように人を照らせるのは、自分が光りを持っていることを知り、発しているからこそ他者の光りを誘うことができ、その他者もまた自らの光を知り、それらが交差する時、熱を放つ光りとなるんだろうな。
少し大きくなってからはナウシカに憧れていた。セーラーと同じ凛々とした優しさと強さ、かしこさ。民を誘い、民を育む空間にいつも寄り添う生き方、愛する者たちを知り、弱気を守り、強きを包み込むナウシカに私は今も憧れている。私は、ロマンならぬマロン主義なのかもしれない。ずっと甘い夢を見る少女だ。
明後日、ママたちがやってくる。ピリピリしている私に、ママは「もっと穏やかに」と忠告してくれた。穏やかな感覚と感性は、こんな昔話を振り返ることで、生きかえり、また育まれたように思う。ありがとう。

とんがり帽子のメモル
♪メモル とんがり帽子にキラキラと朝つゆあびて 水車のリズムにあわせて踊る まるでタンポポのわたげ さあ とびらのかぎを さあ あけてごらん そうよ人生は おもちゃ箱 なにが なにが とびだすのかな。
リルリトルメモル ちっちゃなレイディ とんがり帽子に やさしさつめて きらめく星から 夢色飛行 ようこそかわいい天使たち。
 木もれ陽にまぶしくとけて 調子はずれの オルガンにのせ ルルルハミングで踊る さあとびらのかぎを さああけてごらん そうよ人生は おもちゃ箱 なにもかもが愛でいっぱい リルリトルメモル 無邪気に笑う とんがり帽子の ちっちゃなレイディ トキめくこころを 風にのせたら ふしぎな世界に 出会ったの。
リルリトルメモル ちっちゃなレイディ とんがり帽子に やさしさつめて きらめく星から 夢色飛行 ようこそかわいい天使たち♪♪

2004年06月27日(Sun)▲ページの先頭へ
お誕生日

「おめでとうママ」
みどり色のカエルが鳴きはじめる6月。24日は、パパとノンちゃんのお誕生日。57歳の少年と13歳のままの少年、2人の生まれた日。
大学に入学したてのちょうど今頃、大好きな先輩が教えてくれた事がある。
生まれてきたあの日と今日のお祝いに、お母さんに「ありがとう」と「おめでとう」を伝えるんだよって。あれから毎年・・・。
あの日、命をかけて私とお兄ちゃんを産みだしてくれた。あの日、セイちゃんも生まれてきた。ママ、あの時不安だった?あの時嬉しかったママ?あの時、何があなたを包んだんだろう?あの日からまた強く生きはじめたママたちに、私たちは育てられてきた。お兄ちゃんも私も、パパもママも。私たちが、今ここにいるということの実感は、そう、彼女たちの命の鼓動と連動なしには得られなかっただろう。目をつぶり、耳をふさいでも響いてくる命の音とそれへの感謝が、幼い自分たちの成長への喜びの日をやさしく包む。
パパたちにも、ありがとうだね。そして、おめでとう。いつも遅くなってごめんね。
セイちゃんパパ・ノンちゃん、お誕生日あめでとう。 パパ、難波に電話した?

2004年06月23日(Wed)▲ページの先頭へ
お久しぷりっ♪”

 今週は忙しくなりそうだ。ばたばたではなく、じっくりこもるという感じ。週末には、きょんちゃんが、ここへ到着する。『TULELAKE』を通して、メールをするようになり、色んな論争?意見交換をしてきた。サンフランシスコへ来る前に、ちょこっと会ったが、今回は2週間ほど滞在するということなので、楽しみだ。たくさん語ろうね!1981年生まれの同級生であることや、京都生まれの京都育ち、私が高校生の時に一緒に活動していた友達と、同じ小学校・同じクラスだったこと、自分に在る要素を内面化することなく向きあい社会的な活動に参加していることなど、共通すること、共感すること、共有できそうなことがいっぱいあって、繋がりながら、何度も出会い直したい彼女である。TULELAKEでのワークショップ「部落と在日」をサポートしてもらう。私と、きょんちゃん、そしてミポリンとで、私たちの語りのうちから生まれる、誰もにとって安心して暮らしを営める関係性と共同体、差別をすることなく生きられる普遍的な価値「人権」の確立を、「私」と「私たち」が担っている解放の営みと歴史を通して発信したいと思う。たくさんの人たちのパワーを吸収できるゆとりと、エネルギーを交換しあえる内容で、海外・パネラー初体験に挑もうと思う。頑張りすぎず、楽しみながら。言い聞かせてます(^−^)”
 ステキな先輩たちから、連絡を頂いたりお家に招いてもらったり。伝わってくる一言一言、胸にギュンと響いて涙がぽろりん。前から知っている新しい勇気がハートちゃんからあふれだしてきて、同時にそれまでの不安も知らないうちに流れ出してくるから、両方が混ざり合って、ほろにがく甘酢っぱい気持ちになってしまうんだな。さぁ、自信をもって!! 私を包むすべてに感謝しながら。


2004年06月13日(Sun)▲ページの先頭へ
紡がれる縁と円

 今週も色々あった。ワインクーラーを片手に失礼させてもらおう。嬉しい誘いと知らせ、深く考えすぎて行き詰まってしまったこと、友達の体調不良のこと、人と人の関係性の再考、たくさんの疑問、困惑からのヒント。たくさんあったが、気分良く届けたいと思う。
 先日、石川結加さんから連絡を頂き、慣れない生活でストレスや疲れをためてはいけないと結加さんのお家の夕食に誘ってもらった。結加さんとは、こちらに着いてすぐの頃、仕事場へ尋ねさせてもらった。JUCEEという国境・地域を越えた市民の社会参加をサポートするNPOに勤務されている彼女は、自身の問題意識に誠実に向き合い、それを表現する力と、それを受け止める関係性や場への有効なアクセスによって、自分と社会への挑戦を続けられているようだ。大阪の松原という被差別部落で生まれ育った結加さん、自らの経験を個という主体から捉えなおし、そうすることによって誰からも定義されることのないオリジナリティと出会われたような印象を受けた。ただ、生活拠点をこちらに持ったことで生まれる葛藤の存在は興味深かった。これから私が、必ず出会う葛藤のようにも思うからだ。
 来週の土曜日には、ミポリンの親友マリーンの結婚式に参列する。ミポリンの親友タカシくん、彼のパートナー役として誘ってもらったのだ。オホッ。今から何を着ていこうかと楽しみ。短期の滞在で、経験できるとは思いもよらないこの機会に興奮。ワンピースを購入しようと思うんだけど、何色がいいかな?ちなみにタカシくんはアロハシャツで行くらしい。ほんとにファニーな彼!!
 来月の初めには、TULELAKE(日系人強制収容所)への巡礼の旅へ3日間参加する。「部落と在日」のワークショップを担当することが決まっている。今日から本格的に内容をつめていこう。おって紹介したいと思う。そうこうしているうちに、私のファミリーがぞくぞくとやってくる。私をミポリンと出会わせてくれた彼女と愛娘、エミちゃんとU5、ハニー邦ちゃん、7月15日からアリゾナ州で開かれるALL PEOPLES POWER SUMMIT:BUILDING COMMUNITIES OF HOPE, STRENGTH AND SUSTAINABILITY. アメリカの先住民族である、ナバホやホピの人々が主催するサミットへ参加する。環境正義の論点から、グローバリゼーションがもたらす複合的な搾取構造と、奪われ続ける彼らの命と魂に向き合う。彼らの、持続可能で強い命の力をもったコミュニティ構築への熱い願い、そこに集わなくとも届けられるメッセージたちが私の体を貫くだろう。
 15年程前、『ホピの予言』という映画の上映会でトーマス・バニャッカ・ジュニアと出会った。私の育った亀岡で脱原発の活動をしていた児玉さん・エミちゃん達のメンバーが、その活動を通して監督の宮田雪さんたちの活動と出会い上映会企画に賛同し実現されたように思う。当時、私は小学一年生だった。今回のサミットには、ホピ族の名前がある。ミポリンが仕事で関わっているプロジェクトを通して私たちにもたらされたこの機会、私が出会ったバニャッカ・ジュニアと再び抱擁を交わすことができるかもしれない。ジュニアでなくても、そんなことは気にしない。ただ、私は嬉しい。私は、私の大切な人たちに伝えたいと思う。
 私たちはただ、ひたすらに命の休まる凛々とした穏やかさを大切にしてきただけ、大切にしたいと思うだけ。人を殺さぬとも、傷つけなくとも闘う方法を知っているから。それは、すべての人間に在ると信じる導きとおだやかさと同じところにいる。


2004年06月06日(Sun)▲ページの先頭へ
ピンポーン♪

 この間、ファシズム分析の勉強会にミポリンと遊びに行ってきた。どうして、60年代・70年代の世界を取り巻いたムーブメントが定着しなく、そこに参加、また触れてきた人間が、運動を去っていくのか。また、あきらめていくのか。運動の商品化、運動の貧困化。私にはとても簡単な問いだった。いつの時代も、マイノリティは運動を去ることができない。いつの時代も、生活の中で社会的不平等が存在しているから。その時代を生き、この時からこの日から変えていこうと、社会の差別構造をピープルの定義を繰り返し使って切りひらこうとチャレンジし続けている多くの仲間がいる。
マイノリティの中にも確かに存在する、政治的無気力についても論議された。その無気力とはファシズムが浸透させている歯車に組みこまれた装置のひとつであるということ。それらの歯車に加担している我々の存在をも警告の対象とする必要性をみんなひしひしと感じていた。
 無気力になんてなっていられない。っと奮起する私。涙がぽろんと出てきたのは、一人の長老の話(ミポリンの日記にもでてくるブラックパンサー活動の歴史を引き継ぐおじいちゃん)だった。
 マジョリティのとは言ってないけど、運動への疑問を口にだした多くの人が、教育スットクを持った人たちで、その中でおじいちゃんが言ったのは、「家のドアーをたたいてまわれ」っていうことだった。私が活動の中で大切にしてるポイントと一緒だった。私のムラで一緒に活動してる後輩たちの顔が浮かんだ。ぽろぽろりん。それは他者だけじゃなくって、自分の閉まりかけのドアーも同時に叩くものだから、閉じてる暇なんてないんだって私は思った。彼は、けっしてマイノリティとマジョリティが参加する運動や位置性を分断したり、二項対立的に述べなかったけど、解放のムーブメントを創っていくのは、ここにいるひとりひとり、自分たちなんだって明確に表現した。どうして、マイノリティが運動を奮起させる言葉を常に言わなければならないのか?
 彼からは、自分たちを解き放つニオイや音、声や音楽が流れてきたら目の前の道に繰り出そうよって伝わってきた。そのためには、ドアーの前、家の前、道路の隅、トイレの前、スーパーの前、友達とのお出掛け、ほんと日常の色んな場でうたわなきゃ。そして、自分の家の中で、自分たちについて語りあって、ひっついてることを実感しあわないと他者のドアーを叩くのは難しいし、自分にも自分のことが語れないだろう。
 闘うことの選択をできなかった自分たちの運動だからこそ、あきらめるなんてできない。もっと、自分にかえろう。自分の土壌にかえって、また明日からのはじまる今日のために充電を繰り返そう。そして、自分と世界と繋がっていこう。グローカルな営みからしか、ほんとに持続可能な運動は成り立たない。
 不当な社会構造、運動を商品化しているすべてのグループ、そして自分への警鈴を鳴りやましてはいけない。自分に呼びかけ、向かい合い、他者の家のドアーを叩くことによってのみ、その警鈴は、解放の呼び鈴「ピンポーン♪」になりうる。なってぎゅって感じた勉強会だった。また、遊びにいこう!!

2004年06月03日(Thu)▲ページの先頭へ
シンコデ・マヨ

May 5,シンコデ・マヨ!!(メキシコのスペインからの独立記念日(どくりつきねんび))をひかえた5月2日、オークランドで開催(かいさい)されているシンコデ・マヨフェスティバルに遊びに行った。あれから一ヶ月もたつんだ。少しずつ書きためている日記がおいついていない・・・。
メキシコの赤白緑色の旗は大きくひろげられ、そこにいる一人一人がその意味を私たちに問っているかのように感じた。メキシコの人々の自分たちを解放に導く(みちびく)ためのナショナリズムの浸透(しんとう)は、アメリカの星条旗(セイジョウキ)、日本の日の丸と同じように揺れない旗に、表れているように思う。
〜シンコデ・マヨ〜
国を越えた土地、土地を越えた我々の大地は、今だ、我々のそばにはなく、耕すことも、眺めることも心地よく可能ではない。しかし、我々の大地に吹く風は、いつも魂を波立たせ、我らの今日をあきらめることをけっして許さない。奪われ続ける命の種を、我々自身を、何度となくやさしく自由に育てることの大切さを、迫害の歴史から我々は記憶した。そして、今日も我々が、大地に届ける風に、我々の旗をなびかせる。
私がここに生(い)る希望と共に。

私の美化かな。IF WORLD HAD SONGを聞きながら。


2004年06月02日(Wed)▲ページの先頭へ
知恵と誇りと民

ごめんなさい::書式(書式)があわないみたいで、上手(じょうず)にルビをふることができませんでした。読(よ)みにくいと思(おも)います。以下(いか)にルビなしのものも添付(てんぷ)しています。アドバイスください。


“Asian&Pacific Islander‐Mural Dedication”というイベントがサンフランシスコ州立(しゅうりつ)大学(だいがく)であり、出演(しゅつえん)する在米(ざいべい)の沖縄(おきなわ)コミュニティに集い(つど)エーサーや三(さん)線(しん)を奏(かな)で、シーサー(獅子(しし))を操る(あや)メンバーの手伝(てつだ)いをさせてもらった。ゆうこちゃんやミポリンも、この三(さん)線(しん)グループに参加(さんか)している。ここでは、沖縄かすりの着付(きつ)けを担当(たんとう)。日本(にほん)舞踊(ぶよう)の稽古(けいこ)時(じ)の簡単(かんたん)な着付(きつ)けが役(やく)にたつ。
今日(きょう)のイベントは、Asian&Pacific Islander、アジア太平洋(たいへいよう)地域(ちいき)にアイデンティティのルーツを持(も)つ若者(わかもの)、学生(がくせい)に自分(じぶん)たちの先輩(せんぱい)である人権(じんけん)活動家(かつどうか)を壁画(へきが)に表現(ひょうげん)し位置付ける(いちづける)ことによって、先人(せんじん)たちが伝え(つた)、現在(げんざい)も残る(のこる)いぶきを自分(じぶん)たちに引き寄(ひきよ)せようという意味(いみ)をもつイベントのようだ。沖縄(おきなわ)・ハワイ・中国(ちゅうごく)などにルーツをもつ人々の出演(しゅつえん)によって、舞台(ぶたい)が盛(も)り上(あ)がっていく。
出演(しゅつえん)した沖縄(おきなわ)グループをコーディネートする彼(かれ)、ウェスリーはシーサーの前方(ぜんぽう)を担当(たんとう)、動き(うごき)まわり跳(は)ねるんるん。大(おお)きな口(くち)を持つ(も)獅子(しし)、たくましくこっけいな動き(うご)、バナナの木(き)の皮(かわ)でつくられた胴体(どうたい)から生(は)えるシッポのゆれもたまらなくいい。エスニック・スタディズの学部(がくぶ)があるこの大学(だいがく)で、ウェスリーはバークレーの博士(はかせ)課程(かてい)に通(かよ)いながらこの学部(がくぶ)の講師(こうし)を務め(つと)る。ハワイで生(う)まれ育っ(そだ)た彼(かれ)は、沖縄(おきなわ)に渡(わた)り三(さん)線(しん)(サンシン)や島(しま)唄(うた)を自分(じぶん)のものにしアメリカへ帰っ(かえ)てきた。自(みずか)らが取り戻(と もど)す文化的(ぶんかてき)・歴史的(れきしてき)「武器(ぶき)」(私(わたし)はツール「道具(どうぐ)」だと思(おも)う)を、彼(かれ)は見事(みごと)に獲得(かくとく)し、それを共有(きょうゆう)する営(いとな)みを模索(もさく)しながら活動(かつどう)を続(つづ)けている。私(わたし)は、人(ひと)を解放(かいほう)するムーブメントを文化(ぶんか)として創造(そうぞう)してきた環境(かんきょう)で生(う)まれ過(す)ごしてきた。私(わたし)が持(も)つ表現(ひょうげん)ツールは、解放(かいほう)運動(うんどう)から発(はっ)せられた文化(ぶんか)資源(しげん)。人(ひと)をなごまし、友(とも)として自然(しぜん)と命(いのち)を詠い(うた)、舞う(ま)沖縄(おきなわ)の文化(ぶんか)資源(しげん)。個人(こじん)としての領域(りょういき)だったり、関係性(かんけいせい)の中(なか)でだとばかり思(おも)っていた、命(いのち)のこだまし合(あ)い(“こだまっこ”と名付(なづ)けよう)をこんな表現(ひょうげん)ツールで、伝(つた)えられるなんてステキだな。日本(にほん)の沖縄(おきなわ)、からではない地球(ちきゅう)の沖縄(おきなわ)、その民(たみ)からの学(まな)びは、沖縄(おきなわ)や在日(ざいにち)・被(ひ)差別(さべつ)部落(ぶらく)がこだまっこしあえる空間(くうかん)を、音色(ねいろ)にのせて与(あた)えてくれる。
オークランドとバークレーの広場(ひろば)で開(ひら)かれるフリーマーケットを訪(たず)ねる。バークレーのフリーマーケット、出店(しゅってん)はオーガニックの農産物(のうさんぶつ)が目立(めだ)つ。ゆっくりと時間(じかん)を楽(たの)しんだオークランドの市場(しじょう)では、黒人(こくじん)の女性(じょせい)に「その服(ふく)どこで買(か)ったの?」と呼(よ)びとめられ、そこから実は(じつ)「自分(じぶん)たちが参画(さんかく)する小学校(しょうがっこう)で、あなたが伝承(でんしょう)している地域(ちいき)の知恵(ちえ)や歴史(れきし)の話(はなし)を聞(き)かせてほしい」と名刺(めいし)を渡(わた)される展開(てんかい)にいたった。教育(きょういく)関係(かんけい)のNPO(エヌピーオー)、そこでコーディネータをしている彼女(かのじょ)らしい。私は、英語(えいご)が上手(じょうず)に使(つか)えないので、紙芝居(かみしばい)を使(つか)って子(こ)どもたちに伝(つた)えることができると、後日(ごじつ)連絡(れんらく)をするというかたちで別(わか)れた。一緒(いっしょ)にいたゆうこちゃんは私(わたし)が声(こえ)をかけられたことに、少し(すこし)驚(おどろ)いていた。きっと何(なに)か匂(にお)ったのだろうなと、世界(せかい)を越(こ)えて吹く(ふ)風(かぜ)のすごさを勝手(かって)に感(かん)じてしまった。
私(わたし)の祖母(そぼ)や祖父(そふ)たちは、部落(ぶらく)の解放(かいほう)運動(うんどう)に、家族(かぞく)と共(とも)に収穫(しゅうかく)を喜(よろこ)び、感謝(かんしゃ)することのできる土地(とち)を売(う)り払(ばら)い懸(か)けてきた。私(わたし)たち次(じ)世代(せだい)のために投資(とうし)した喜(よろこ)びと田畑(たはた)である。今(いま)、彼(かれ)らの思(おも)いと願(ねが)いは、私(わたし)の知恵(ちえ)となり大切(たいせつ)な人々(ひとびと)と共(とも)に喜(よろこ)びを分(わ)かち合(あ)える時(とき)を得(え)ている。
お金(かね)にまみれない人間(にんげん)としての誇(ほこ)り。人間(にんげん)と人(ひと)と人(ひと)との関係性(かんけいせい)を尊敬(そんけい)する民(たみ)としての誇(ほこ)り。先人(せんじん)たちが汗(あせ)と涙(なみだ)、酒(さけ)にまみれながら紡(つむ)いだ、解放(かいほう)の知恵(ちえ)たちが射(さ)す方角(ほうがく)で、新(あたら)しい出会(であ)いが私(わたし)をまっている

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“Asian&Pacific Islander‐Mural Dedication”というイベントがサンフランシスコ州立大学であり、出演する在米の沖縄コミュニティに集いエーサーや三線(さんしん)を奏で、シーサー(獅子)を操るメンバーの手伝いをさせてもらった。ゆうこちゃんやミポリンも、この三線グループに参加している。ここでは、沖縄かすりの着付けを担当。日本舞踊の稽古時の簡単な着付けが役にたつ。
今日のイベントは、Asian&Pacific Islander、アジア太平洋地域にアイデンティティのルーツを持つ若者、学生に自分たちの先輩である人権活動家を壁画に表現し位置付けることによって、先人たちが伝え、現在も残るいぶきを自分たちに引き寄せようという意味をもつイベントのようだ。沖縄・ハワイ・中国(ちゅうごく)などにルーツをもつ人々の出演によって、舞台が盛り上がっていく。
出演した沖縄グループをコーディネートする彼、ウェスリーはシーサーの前方を担当、動きまわり跳ねるんるん。大きな口を持つ獅子、たくましくこっけいな動き、バナナの木の皮でつくられた胴体から生えるシッポのゆれもたまらなくいい。エスニック・スタディズの学部があるこの大学で、ウェスリーはバークレーの博士課程に通いながらこの学部の講師を務める。ハワイで生まれ育った彼は、沖縄に渡り三線や島唄を自分のものにしアメリカへ帰ってきた。自らが取り戻す文化的・歴史的「武器」(私はツール「道具」だと思う)を、彼は見事に獲得し、それを共有する営みを模索しながら活動を続けている。私は、人を解放するムーブメントを文化として創造してきた環境で生まれ過ごしてきた。私が持つ表現ツールは、解放運動から発せられた文化資源。人をなごまし、友として自然と命を詠い、舞う沖縄の文化資源。個人としての領域だったり、関係性の中でだとばかり思っていた、命のこだまし合い(“こだまっこ”と名付用)をこんな表現ツールで、伝えられるなんてステキだな。日本の沖縄、からではない地球の沖縄、その民からの学びは、沖縄や在日・被差別部落がこだまっこしあえる空間を、音色にのせて与えてくれる。
オークランドとバークレーの広場で開かれるフリーマーケットを訪ねる。バークレーのフリーマーケット、出店はオーガニックの農産物が目立つ。ゆっくりと時間を楽しんだオークランドの市場では、黒人の女性に「その服どこで買ったの?」と呼びとめられ、そこから実は「自分たちが参画する小学校で、あなたが伝承している地域の知恵や歴史の話を聞かせてほしい」と名刺を渡される展開にいたった。教育関係のNPO、そこでコーディネータをしている彼女らしい。私は、英語が上手に使えないので、紙芝居を使って子どもたちに伝えることができると、後日連絡をするというかたちで別れた。一緒にいたゆうこちゃんは私が声をかけられたことに、少し驚いていた。きっと何か匂ったのだろうなと、世界を越えて吹く風のすごさを勝手に感じてしまった。
私の祖母や祖父たちは、部落の解放運動に、家族と共に収穫を喜び、感謝することのできる土地を売り払い懸けてきた。私たち次世代のために投資した喜びと田畑である。今、彼らの思いと願いは、私の知恵となり大切な人々と共に喜びを分かち合える時を得ている。
お金にまみれない人間としての誇り。人間と人と人との関係性を尊敬する民としての誇り。先人たちが汗と涙、酒にまみれながら紡いだ、解放の知恵たちが射す方角で、新しい出会いが私をまっている。




2004年05月29日(Sat)▲ページの先頭へ
戦争・差別・「鶴」という文化?

ルームメイトのゆうこちゃんが通うサンフランシスコ州立大学での、ビデオ上映会に参加。“Caught in Between”9.11以降のアメリカで、イスラム・アラブ系に対する異常なパッシングと憎悪に基づく危機の中で、第二次世界大戦中アメリカ移民の日本人が、迫害され、強制収容所に連行された構造とかさなることを描いている短編映画である。上映会の参加者のほとんどが、日本からの留学生、大学で日系のグループに所属する日系の学生たちであった。アメリカをコアーに位置付ける世界で、イスラム・アラブ系とみなされる全ての人が、戦争により不当に傷つけられ構造的にも殺される対象として存在させられている現状に向き合った作品であり、在米日系台湾系のウェブデザイナー・星野利奈さんの視点で届けられている。上映会には、星野さんも参加し、ミーティングでは日本語字幕で観てもらうことに大きな意味があると言われたが、機械の問題で、字幕をいれることはできなかった。それぞれの被害当事者の語りが、インタビューや集会での発言を通し伝えられている。ノーセイ(私たちは何世でもないという意味を込めた)という在米日系グループが中心となった、在米イスラムコミュニティグループとの連帯の行動、連帯のシンボルとしてイスラムコミュニティに送られた千羽鶴も興味深い。上映後、ディスカッションがあり、日本語を使えないのは一人の学生だけだったが、討議のほとんどは英語で展開された。サンフランシスコに到着3日目にして、英語コンプレックスに犯されかけたが、企画者ゆうこちゃんのサポートと、問題意識の高まりで、意見をストレートに伝え参加。なんとか乗り越える(笑)
目にとまった白い千羽鶴。広島の貞子(佐々木骼qさん)の話は有名だしと、利奈さんは答えられた。鶴は平和の象徴であると・・。確かにそうだ。私も高校生の時、親友の一人と鶴international(クレイン・インターナショナル)というブランドをつくっていた。なつかしい。日系アメリカ人の学生は、日系は、日本との接点を折り紙や太鼓でしかもうほとんど持ってないと言っていた。人が行き交い、文化が交差しあう現在においても、アイデンティファイの選択が限られていることに私は驚いた。
平和の使者としての「鶴」を受け継いだ日系の人々。広島や長崎を知り、日本がアジアの人々に行った歴史を語り継ぐ人たちはこのアメリカにどれだけいるのだろうか。アメリカという土地で、裏切られた市民、市民権をもたないマイノリティとして一生懸命に生きてきた。しかし、そこにも日本での居場所を奪われアメリカに移った日本のマイノリティ移民は、日系のコミュニティの中で差別されたと聞く。被差別部落の人が捌き、なめし、つくられる太鼓、戦争時に使われてきた国鳥の鶴が現在平和の使者としてあるなら、太鼓が日本の文化であるなら、どのような歴史性を持ちそれが今日どのように使われているのかに注意をはらうことが重要となる。日本文化、その文化は何を消費することで成り立ってきたのかを知らせる必要が私にはあるんじゃないか。そして、それを知ることによって、戦争という大惨事であっても、社会構造に存在させられる人間への差別は更にタブーとして覆い隠され、その歴史のみを忘却していくと感じた。




2004年05月27日(Thu)▲ページの先頭へ
出会いと空間

ゆっくりとした朝、ゲバラが見守る窓のカーテンから太陽が突き入ってくる。このゲバラの旗は、ミポリンの相棒アミットのものだ。彼は、反グローバリズムのキャンペーン・活動に飛び回り、今年に入り20日あまりしかこの家に滞在してないそうだ。現在は、ニューヨーク。次もまた、コロンビアに入るという。
 私が、アメリカに来るきっかけとなった、2001年の南アフリカ・ダーバン。世界の人種主義、人種差別と徹底して対抗する意志を鋭く持った当事者たちが集まったNGOフォーラムで、キューバのフィデル・カストロが私を含め多くのマイノリティ当事者に強く語っている姿を目撃する。人々の深いこぶしと体全体が熱くなるように響きあう歓声が印象的だった。カストロにとっても、初めてのNGOフォーラムで、自らの位置性から発せられる、数々の矛盾と口惜しさを体験した。同時に、私は自らの感性でエンパワーの可能性と、最愛の友人との出会いを経験する。カストロとゲバラの出会いの歓喜、彼らの希望、命の志と選択が今日も多くの人を照らし、彼らもまたその多くの人たちによって輝きをます。2004年現在、女性(おんなせい)を生きている私には、次の命を紡ぎだすという夢がある。そして、多くの人を愛し、愛されたいと願う。いずれも、生きること、生きていることによってのみ実現される。生き急ぐように歩む、活動家、現在の革命の志人たちに私は何を伝えられるだろう。彼ら彼女らが、愛する者たちに囲まれ語り、旅立つ用意にせかされることなく今を語る時間や、空間を私はつくれるのだろうか。
 体が太陽に向かい、仕事の休みをとってくれていたミポリンが、疲れている体に元気をつけようと、韓国料理店に連れていってくれた。牛のテールスープと大好きな水冷麺、キムチを頂く。バークレーやオークランドをまわり、これから暮らす町並みをゆっくりと眺めた。    

2004年05月20日(Thu)▲ページの先頭へ
はじめの一歩

カナダのバンクーバを経由し、サンフランシスコへ。アメリカへの入国審査を、カナダ・バンクーバ空港で受ける。なんとも不思議な感覚。うわさに聞いていた指紋を取る機械との対面、顔写真も「さあ、笑顔で!」と、審査員。どれだけの人が、この当たり前ではない光景と経験に身震いしたことだろう。サンフランシスコへ向かう便のゲートには、多くの白人と呼び呼ばれる人たちが大勢と私を含む5名程のアジア系の人がいた。搭乗券を通してすぐ、私は呼び止められすぐ横の空間で、チェックをうけることになった。    
手荷物のすべて、小さなチャック、パソコン、靴の中、裸にはされなかったものの、コートを脱がされ、長時間フライト用のジャージで手を広げ足をひろげ、立ったり座ったり、ふくらはぎや、かかとにわたるまでの厳密なチェックだった。                    
関空からの出発ロビーで、いつも一生懸命でやさしい知人からお土産を頂いた。スーツケースを預けた後(笑)に駆けつけてくれた彼女が届けてくれたのは、サッカーの選手退場を絶対的に示すレッドカードに基づいて、米軍基地に対し赤い色のものなんでもで米軍基地の撤廃と、沖縄の現状を訴え示すレッドカード・ムーブメントの真っ赤なTシャツ。米軍基地から飛び立つ戦闘機が鳩に変わるデザインがされている。沖縄の若者がインターネットで発信したこのムーブメントは、平和運動や反米軍基地運動の枠をこえ、普段の暮らしの中で不当なことを、自分に引き寄せ少しの勇気で表現する大切さを多くの人が実感し、行動する力のひとつであるようだ。そのTシャツに対して、セキュリティに「これは何ですか」と、聞かれることにドキドキしていたが、あっさり「友達へのお土産ですか?」と聞かれたので、「はい」と答えてしまった。         
白人が多く搭乗する飛行機に、アラブ系の人がいない場合、グリーンカードをもたないアジア系を、多くの人の前でチェックすることが、白人に安心感をもたらすセキュリティを提供しているという証明になっているようだ。
興味深い体験の後、2時間あまりのフライトを経てサンフランシスコ空港に到着。ルームメイトのゆうこちゃんが、迎えにきてくれていた。アクティブなZeepに揺られ、マニュアルのギアーが切り替えられるたびに無造作に跳ねるペットボトルが、共同生活への不安を軽くしてくれた。後部座席がオープンの車内、風に声が吹かれてしまう。ベイエリアの汚染の深刻さや、その被害がより弱者に及んでいることを聞き、大きな声でそれに応えた。これからここで生活するのだと思うと、ローカルな情報の重要性を感じた。そして、あまりにもひどい汚染の現実に「子どもを産んできたらよかった」とおもわず一言。スーパーに並ぶ食品、野菜や果物、オーガニック製品があるけれど、それを選択できるのは経済的・社会的・文化的・歴史的・政治的に資源を持ち得ている人間。私たちも含めて・・・。健康に安全に暮らし、できるなら子どもたち(未来・次世代)を迎え、育ちあいたい。そんな当たり前の事が、できない、そして当たり前として選択できない現在をあらためて痛感した。
 エルセリートの丘に建つ家に着き、用意された私の部屋に案内してもらう。最初に飛び込んできた光景は、赤色に染まる旗に描かれた革命の志人チェ・ゲバラの凛とした顔だった。ニヤリ。あたりを見回すと、たくさんのポスターやフライヤーたち、そのどれもが世界と私たちにおきている問題を訴えたものだった。近くの階段には、写真家・森住卓さんの「イラクの子どもたち」のパネルがたてかけられ、それぞれに命をこめる営みに参加する努力を生活の中でなしていることに高揚した。
 ミポリンこと美穂さんが、仕事から帰ってきた。彼女の顔を2年ぶりに見た瞬間、魔法にかかったようにそのまま眠ってしまった。失礼。安心したのだろう。私が到着したその日に、新しいルームメイトのトムも現われ、一緒に夕食を囲んだ。それから、時差ボケというもの(初体験。いままで気がつかなかっただけかもしれないが)に自然に身をまかせ、多くの時間を睡眠に費やした。


2004年05月17日(Mon)▲ページの先頭へ
私を生きる、息づかい。

サンフランシスコに着いて、三週間が経った。風は冷たく、美しい雲はベイエリアの深刻な汚染を包容しながらゆっくりと流れている。エルセリートにある私の新しい家は、サンフランシスコの対岸、ベイブリッジを渡りオークランド・バークレーを越えた小高い丘の上にある。ルームメイトは5人、多くの人々が行き交う風通しの良い空間である。部屋の窓からは、霧のかかるサンフランシスコ市内が浮かぶ。眺めていると、生まれた土地に愛しく引き寄せられる。海に誘われる霧を見て、山と緑、そして土に遊ぶ霧たちを思い出す。   
旅立つ前にたくさんの友人・知人・先輩・先生に激励の気持ちを届けられ、送り出してもらった。そして、この地へ快く迎えて下さった美穂さんと、その仲間のみんなさんへ、あらためて感謝を伝えたい。                        
『Soulmail:紡ぎの杜』を通して、これまでの私の営みから膨らんだり、縮んだりを繰り返し、創出されるだろう一呼吸をレポートしたいと思う。               
“風雲は 樹木に深く 根を張らす”“不動の信念は人を動かす”大切な友人から送られた言葉たち。被差別部落のコミュニティで生まれ育った若者がエールと希望を込めて送ってくれたメッセージは、私たちを育み、根をめぐらせてきた土壌への尊敬と、新たな出会いに奮起する者への助言、ひとつの機会を命こめて活かし伝えることの大切さ。いつも穏やかに私を包みこんでくれる友人のメッセージからは、柔軟な感性を自信をもって信じていくことへの勇気を沸き立たせてくれた。ほんとうにありがとう。

たくさんの出会いにより人は、何かを得、その得たものが、次の出会いというチャンスをはこぶ。樹木(人)が育つためには、大地にめぐらす根と土壌(大地やコミュニティ)が必要であり、太陽や水・風・周囲の笑い声が恵みをもたらす。私たちのルーツは過去・現在・未来へと繋がっている。未来にむかってそれぞれのルーツをどのように育み活かすのか、共に生きる土壌をどのように耕し、命を紡ぎあうその営みにどんな根をめぐらしていくのか。私たちの命が悲しい出会いをしないために、私たちのルーツへの期待が自分と他者を傷つけることがないように。私と私たちが、のびのびと育むルーツにむかって、現在を生きるということを紡ぎあいたい。穏やかにそして、やさしくたくましい情熱に導かれながら。
『Soulmail:紡ぎの杜』を、仲間や友人たち、まだ出会っていない人たちと、風のように自由に、太陽のように楽しく、七色の涙のわけを共有できる空間として提案したいと思う。